Profile

a 子供のころ「警察犬カール」
というテレビ番組を見て
「私の人生はこれだ」と思う。
(年がばれる?)
その後警察犬訓練所を見学して歩き、
いやがられながら通う。
(千葉、東京、埼玉)
学校をさぼってた?あれ?
ちなみにそのころ子供だったのでどこも
相手にしてくれなかった。
夏休み、冬休みを利用して無理やり訓練所に通う。
掃除、雑用などをして見学をしていた。
(今おもえばかなり邪魔をしていたにちがいない・・・)
「東京の子は根性がない」
のイメージをくつがえそうと
始発の電車に乗り、通う。
私を通わせてくれた訓練所の方々に
感謝・・・。
ある訓練士の奥様がドッグショーに足を
はこんでいた。 犬の品評会?
全く興味がなかった。
犬はやっぱりジャーマンシェパード!大型犬!
とおもっていた。
でも犬関係だから見にいってみることに。
初めて目にしたドッグショウ・・・。
別世界がそこにあった。

b 犬に賢明にブラシを通す奥様とその関係者。
「手伝って」の一言で私もはじめてショウドックに触れる。
そこでドッググルーマ─(トリマ─)という仕事があることを知る。
私の母が東京で人間の美容院を経営している。
母は「犬の床屋?」と首をかしげていた。
いつのまにか私はドッグショウに足を運ぶことが多くなる。
そこに集まる私のような犬キチガイ達・・・。
私が触れた犬がショウで勝つと
変に感激をした。

c 私の犬ではないのに・・・。
ペットのグルーミング学校があることをそのころ知る。
高校を卒業したら通おうか?
私は犬のグルーマ─に関することを調べはじめる。
でもショウの人々は学校にいかず修行に
入ったほうがいいと進められる。
私もその意見に同意したかったが、
学校には私のような犬キチがうようよいるにちがいない・・・ と行くことを決意。
一人っ子の私が母の仕事をつがないので
母にはがっかりさせてしまうとおもったが
「自分の道を自分で選んで努力するのであれば私もうれしい」と逆に励まされる。
「人と同じことをしていても一流には
なれない」
母の大きな影響で
私も授業を多く受けたいと思い
今は亡き目白グルーミングスクールの学長のご厚意で
授業を沢山受けさせてもらう。
その後、伊藤英男先生、故 名取敬広社長の
影響でアメリカのドッグショウに興味がでる。

d 日本のドッグショウ会場にはアメリカで修行を
してきたという方がたくさんいた。
私も勉強したいという気持が、ついに渡米を決意させ、
英語はなんとかなるだろうと、辞典片手に
とりあえず一人でアメリカのドッグショウをみにくる。
(今、考えるとかなりムチャしたなあ・・・)
たまたま会場で知り合えたロスに住む
日本人ご夫婦(竹内様ご夫婦)のご厚意で
アメリカトップハンドラ─・バーバラ・ハンフリーを
紹介してもらう。
ビックアシスタント大野けいこさんがやめたあと
だったので募集中だった。
半年後にあらためてアメリカにくると約束をして
日本に帰る。
どうしてか? 理由は英語力・・・。
なんとかならなかったので、かなりたいへんな
思いをした。

e 日本にかえってあせって英会話学校に通いはじめる・・・
が・・・結局学校苦手な私は通えなかった(根性無?)
でも、独学で勉強した。
とりあえず、不安を片手にバーバラのところへ渡米する。
彼女が有名ハンドラ─ということさえ知らなかった
とんでもない私。
こんなヘラヘラした私を2年間も面倒をみてくれた
バーバラには感謝しております。
友人になってくれた
一流ハンドラ─・アラン・チェンバー、
自分の実力のなさに泣いた日々も多かった
けど
(毎日?)
私が来る前にアシスタントをしていた
大野けいこさんの五年も努力した存在と、
彼女からの直接の暖かい励ましになんとか二年をのりきれました。
そのころニューメキシコのサンタフェ(高級リゾート地)で
アメリカ一を誇るペットグルーミングサロン経営者
(タイムスマガジンにも 載った)トリッシュさんに会う。
彼女の店に魅せられてスポンサーになっていただく条件で
引っ越しを決意。
バーバラも私の人生を考えてくれて賛成してくれる。
今もバーバラは私のよきアドバイザーになってくれております。
トリッシッュの店はまさにカルチャーショック・・・
一流のグルーマ─を8人もかかえていた。
私はアメリカ人は犬のカットが出来ないとおもっていた・・
スミマセン・・・。すばらしい腕の人々・・・。
よくこれだけの人々をかかえられたなあ・・・と
彼女のビジネスセンスを学ぼうと決意。
一日50匹の犬が訪れ、お金持ちが集まる
そのエリアはスタンダードプードル、ウイトン・テリア
がほとんどだった。
一日最低6匹のスタンプ─がきていた。
私も店の名に恥じないように賢明に努力する。
日本と全くやりかたがちがっていた。



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